The End of The Dream
11月28日 法学部3年 ナリケン
一.前書き
本日のテーマは荊州の領有権を巡る、魏呉蜀の戦いである、「樊城の戦い」の戦場考察です。この戦いは3つの勢力が入り乱れて戦うという点で、実に「三国志」らしい戦いと言えます。攻める関羽と守る曹操、武力介入する孫権の三者の思惑と戦術を検証していきます。
二.事前の状況
218年
10月 宛の守将である侯音が反乱。曹仁が討伐に向かう。
219年
1月 曹仁が宛を陥落させ、侯音を斬る。
5月 漢中の戦いが決着。
? 孫権、合肥を攻撃。
秋 劉備、漢中王に即位。
三.概略
219年
7月 関羽、樊城を包囲。
曹操、于禁軍を樊城救援のため派遣。
8月 漢水が氾濫し、于禁軍及び龐徳隊が水没。
曹操、徐晃を樊城救援のため派遣。
10月 呂蒙、公安・江陵を占拠。
徐晃、関羽を撃破。
関羽、麦城に逃亡。
12月 関羽捕縛。
四.戦力
・魏軍
樊城…曹仁、満寵
城外部隊…龐徳
襄陽…田常
援軍…于禁
徐晃、趙ゲン、徐商、呂建、殷署、朱蓋(漢中方面軍)
・蜀軍
前線…関羽、関平、趙累
補給…糜芳(江陵)、士仁(公安)
※上庸の劉封・孟達に援軍要請したものの、治安維持を理由に断られた。
・呉軍
主戦力…呂蒙、朱然、潘璋
水軍…蒋欽
別働隊…陸遜
後詰…孫皎
五.絶好調である!
@関羽、樊城と襄陽を包囲
→さらに宛付近の盗賊団を懐柔し、反乱を起こさせた。
☆関羽の目的は?
→劉備の漢中攻めと呼応した、荊州方面からの北伐。
最初は侯音の反乱と同時に進軍を開始する予定だったのだろうが、曹操 が漢中方面に向かったため、侯音が先走ってしまい、連携が取れなかったものと思われる。
A曹操、于禁軍(3万)を派遣
B漢水の氾濫で于禁軍と龐徳隊が水没
C于禁は関羽に降伏、龐徳は関羽に捕えられ処刑
→突然の自然災害を利用し、于禁らを捕えた関羽の手腕は見事。
D司馬懿と蒋済、孫権に関羽の背後を突かせる事を提案…資料1
→于禁軍が壊滅した事で曹操は遷都を考えたが、司馬懿と蒋済に説得され撤回した。
・曹操にとってのメリット:関羽の勢いを削ぐことができる
・孫権にとってのメリット:荊州の領有
→曹操と孫権の利害が一致
六.友と君と戦場で
@曹操、徐晃を派遣
→漢中方面の軍を廻さないといけない程、曹操が関羽の猛攻に危機感を抱いていた事が分る。
A徐晃、陽陵坡に駐屯
・徐晃の軍は新兵多数
・関羽軍は士気旺盛
→徐晃は樊城から少し距離を取り、じわじわと関羽軍に迫る戦略を採った。
B徐商、呂建の増援が到着
C徐晃、塹壕の道を掘り、偃城の関羽軍の背後を突くよう見せかける
D偃城の関羽軍、陣営を焼いて退却
→関羽攻略の拠点
E徐晃、偃城を拠点に関羽の包囲陣に接近
F殷署、朱蓋らの援軍が到着
G曹操、摩ヒに駐屯
・曹操自身の出征を求める声が朝廷では強かったが、桓階の意見で曹操が前線に出ることはなかった。…資料2
七.陸遜さんじゅうろくさい
@呂蒙、陸口太守の任を陸遜に任せて建業に帰還
→対外的には無名の陸遜に関羽は油断。
→関羽は江陵と公安の守備兵の大半を樊城攻めに廻し、後方はガラ空きに。
A関羽、国境沿いの呉の兵糧庫から兵糧を無断拝借
・関羽軍の食料難
(@)于禁軍の降伏受け入れ
(A)糜芳・士仁らの怠慢
(B)関羽の準備不足?
→関羽が食料庫を襲った事で、孫権は関羽討伐の大義名分を得た。
B孫権軍、荊州に進軍
C呂蒙、公安の士仁を降伏させる
D呂蒙、江陵の糜芳を降伏させる
・呂蒙の戦術…資料3
(a)商船に偽装しての隠密作戦→対呉警備ラインを無力化
(b)関羽陣営の人間関係の調査→内通者の確保
(c)善政→地域住民と名士の支持を獲得
→これにより関羽は本拠地を失い、兵站が途絶えてしまった。
E陸遜、宜都を占領後、夷陵に駐屯
→益州方面からの援軍に対処するため。
・夷陵は要害で非常に守りやすい土地
F徐晃、江陵陥落を敵味方に喧伝
八.永遠の雷鳴
@徐晃、四チョウの陣営を攻撃
A関羽(五千)、四チョウ救援に向かうも、徐晃に敗退
B徐晃、関羽に追撃を掛け、樊城包囲陣に大打撃を与える
→江陵陥落により関羽軍の兵士達が戦闘意欲を喪失した結果といえる。
C関羽、麦城に逃亡
→曹操軍は、関羽を追撃せず
・趙ゲンは孫権への牽制として、関羽軍を残存させる事を主張。…資料4
D関羽、麦城から脱出を図るも潘璋と朱然に退路を断たれる
→潘璋配下の馬忠により、関羽、関平、趙累らが捕縛される。
九.まとめ
・第三軍の介入で戦局が一転する典型的な事例。
・蜀が天下三分の計を実現する最初で最後のチャンス。
・関羽は優秀な指揮官。それ以上でも以下でもない。
十.参考文献
ちくま学芸文庫『正史三国志』 小南一郎、井波律子、今鷹真訳
『資治通鑑』