INFINITE JUSTICE

―前編―  潼関の戦い

            2006121日 
法学部1年 ナリケン

一.前書き            

  今回のテーマは三国志最高の策士賈詡が活躍する潼関の戦いです。

  といっても今日の発表はあくまで前座です。本当にやりたいのは、

  潼関後の涼州における馬超の逆襲なのですが、さすがにそれだけ

  ってのも何だし、戦場考察の練習も兼ねて、潼関の戦いの考察を

  やります。なお本レジュメでは反乱軍を「馬超軍」と表記します。

 

二.戦闘勃発までの経緯

210年 

春 曹操、求賢令を発布。

  周瑜病死。

冬 鄴の銅雀台完成。

211年

1月 夏侯淵、徐晃が大陵で商曜が起こした反乱を鎮圧。

 

三.戦闘の概略

211年

3月 曹操、鍾繇に張魯討伐を指令。

   鍾繇、夏侯淵と合流。

   鍾繇の遠征に疑問を抱いた関中諸将が反乱。→長安陥落。

   曹操、曹仁を反乱討伐の総司令として派遣。

   馬超、潼関に布陣。曹仁、潼関前で持久戦。(曹操の命令)      
7月 曹操、曹仁と合流。潼関前で対峙を続ける。

   徐晃と朱霊、夜中に蒲阪津を渡り、黄河の西に布陣。

   潼関前の曹操軍、黄河南岸→北岸→西岸に渡河開始。

   最後まで潼関前に残った曹操、許褚、張郃、親衛100余名が渡河。

   馬超軍1万が渡河中の曹操を襲撃。

   許褚、丁斐の活躍もあって曹操は無事に渡河。

   曹操、ヨウ道(両側に塀を築いた道)を作りながら南下。

   馬超、曹操軍の渭水渡河を防ぐために主力を西へ。

   曹操、擬兵を使い、馬超を陽動。先鋒が渭水を渡河。

   曹操軍先鋒渭水南岸に布陣。馬超の夜襲を迎撃。

   馬超、黄河以西の割譲を条件に講和要求。曹操は拒否。

   馬超、たびたび挑戦するも、曹操は相手にせず。

9月 曹操軍渭水南岸に布陣完了。馬超の挑戦を無視。

   曹操、馬超の講和請求を表面上受諾。(離間の計開始)

   曹操、馬超、韓遂と会見。馬超の曹操襲撃計画挫折。

   曹操、韓遂に不審な書簡を送る。馬超、韓遂に不信感。

   曹操、馬超に決戦を申し込む。

   曹操、歩兵と騎兵の挟撃で馬超軍を撃破。

         

四.精力最強の男

鍾繇の張魯討伐軍。

兵糧輸送は河東の張畿が担当

目的 関中軍閥の動向をうかがう。

→関中統治のプロ鍾繇・張既を派遣。

 馬超、韓遂の一族は既に入朝=人質。

 

五.緩兵の計

@曹操から曹仁への命令。

「関西の兵は強いから砦にこもって戦うな。」

A曹操の潼関到着後の持久戦

→約4ヶ月間、馬超軍の目を潼関前の曹操軍に釘付けにし、さらに守りを  

 堅めることで、馬超軍の油断を誘う。渡河への布石。

 

六.三途の河

@徐晃・朱霊軍(4000)の渡河。→黄河以西に橋頭堡を築く。

・馬超の備えは梁興軍(5000)のみ。→撃退。

A潼関前の曹操軍渡河開始。

・陽動のためか曹操自身は兵の渡河が終わるまで潼関前に残る。

B最後まで潼関前に残った曹操、許褚、張郃、親衛隊(100)の渡河。

→馬超軍(10000)の奇襲。

→許褚の超人的な活躍

 ・左手で矢を防ぎ、右手で船を漕ぐ。

 丁斐の計略

牛や馬を放って馬超軍の統制を乱す。(撒き餌の策の一種)   

 

七.西部戦線異状あり

@曹操、黄河沿いにヨウ道を作りながら南下。

・塀を作らず、車を連ね柵を立てる。

→馬超軍に隙を見せる。(付近に馬超軍がいないから平気?)

A馬超、曹操軍の渭水渡河を防ぐために主力を西へ

・曹操軍に渭水を渡られると退路、補給線を絶たれる。

 

八.渭水渡河

@曹操、擬兵の計で馬超軍を陽動。

A曹操軍先鋒、渭水渡河。渭水南岸に陣営を築く。

B馬超の夜襲→伏兵で撃破。

→馬超軍の退路が完全に遮断される。

→黄河以西の割譲を条件に曹操に講和を要求。(主体は韓遂か?)

C曹操、講和要求を拒否。

D馬超はたびたび曹操に挑戦するものの、曹操は相手にしない。

→馬超軍の油断を誘う。

E馬超、再び講和要求。

 

九.The Amazing Trick

@曹操、馬超の講和要求を表面上承知。(賈詡の計略)

→離間の計開始。さらに馬超軍の油断を誘う。

A曹操、馬超、韓遂と会談。

→曹操、韓遂と楽しく昔話。

この時馬超は曹操を襲撃しようとしたが、許褚がいたため実行でき

なかった。

B曹操、韓遂に所々黒塗りにした手紙を送る。

→馬超、韓遂に内通の疑いをかける。

→連合軍、実質的に内部崩壊。

以前、韓遂は馬超の母と弟を殺しているため、内部分裂の下地は備

 わっていた。

 

十.さらば白銀聖闘士

@曹操、馬超軍に決戦を申し込む。

馬超軍は油断しているはず。

A曹操軍、歩兵と騎兵の挟み撃ちで馬超軍を撃破。

→成宜・李堪を斬る。 

B馬超・韓遂→涼州に逃走。

楊秋→安定に逃走→曹操・徐晃・夏侯淵に攻められ降伏。

梁興→コに逃走→夏侯淵・徐晃と戦い死亡。

C馬超・韓遂の一族、詔勅により処刑。

演義とは逆。羅貫中の創作(事実歪曲)の中でも最高傑作?

D楊阜の進言

「馬超は勇猛で 族と仲が良いから警戒を怠るな。」

 →しかし曹操はあまり対馬超の備えを行わなかった。

対呉戦線、入蜀した劉備に気をとられていた?

劉備は211年、おそらくこの戦いの最中に劉璋に招かれて入蜀して 

 いる。劉璋に対して攻撃を仕掛けるのは翌年から。

   

十一.How to Win the War

どうすれば、馬超は曹操に勝てたか?

@曹操軍の渡河を防ぐ。=退路、補給線の確保。

×渡河対策は梁興軍(5000)のみ。

×馬超は渭水北岸に軍を置き、曹操軍の渡河を防ごうとしたが、韓遂   

の反対によって中止。

 ・もっと渡河対策に兵を廻していたら、背後に廻られることもなかった 

  かも?

A渡河中の曹操を殺す。

×10000100にまで持ちこめたが、許褚・丁斐の活躍で曹操を

 取り逃がす。

・「事を計るは人にあり。事を為すは天にあり。」(By孔明)ってやつ 

 か?

 

十二.後編に続く

という訳で、初の戦場考察終了です。本戦のポイントを挙げると

・戦い全般を通して見られる緩兵の計による馬超軍の弱体化。

・離間の計による馬超軍指導者の内部分裂。

・陽動を使っての渡河→退路、補給路遮断。

・殿!もっと自分の身を大切にしてください!(BY曹洪)

次回は「INFINITE JUSTICE−後編―仁義無き戦い」です。

楊阜ファン(いるのか?)及び王異ファンの方は是非ご覧になってください。

 

 

十三.潼関の戦い関係者リスト

曹操軍 曹操・曹仁・夏侯淵・賈詡・徐晃・朱霊・張郃・鍾繇・張既

    杜畿(河東から兵糧の輸送を行う。)・丁斐

馬超軍 馬超・韓遂・楊秋・李堪・成宜・梁興・侯選・程銀・張横・馬岱

    徳・馬玩(演義では韓遂をかばって馬超に殺される。)

十四.参考文献

正史三国志T−V・X(ちくま学芸文庫 今鷹真、井波律子訳)

新版三国志新聞(日本文芸社 三国志新聞編集委員会編)←オススメ!

別冊宝島793三国志曹操孟徳伝(宝島社)

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