劉さんのroyal family

ユダヤ暦5764年6月28日       理工学部化学科1年 ホ黒

 

「許さん」を訓読みする人は数多いても、「劉さん」を訓読みする人は平衡状態に於けるaxial bromocyclohexane より珍しいでしょう。いや、それはどうでもいいとして、今回は三国志に登場する「皇室の末裔」の血統の良さを篤と御覧あれ。ちなみに、劉姓のことを金卯とも言います。

 

 

1:皇室の末裔(とされる)劉氏

Yi.霊帝宏(156-189 孝仁皇萇の子 孝元帝淑の孫 河間孝王開の曾孫 粛宗章帝の玄孫)

坂上田村麻呂や丹波哲郎の先祖とされている人(誰が信じるんだ?)。後漢3代皇帝と僅か4世しか離れていませんが、それでも推戴されるまで貧乏暮らしだったのは有名。じゃあ劉備が蓆売りだったのも当然なのでは?ちなみに章帝と霊帝の生年差は99年。

Er.昭烈帝備玄徳(161-223 弘の子 雄の孫 中山靖王勝の子陸城亭侯貞*の後裔)

劉勝*は世宗武帝の兄なので、その子孫は非常に尊い家柄の筈なのですが、何しろ劉勝が子沢山(それでもギネス記録*とは桁違いだけど)な上、劉備は景帝より18代も後(演義によると)なので皆さんご存知の如く落魄れたわけです。ちなみに劉備は景帝より348年後に生まれたので、平均194箇月で嫡子が生まれた計算になります。

San.表景升(142-208 魯恭王余の後裔)

劉余*は劉勝の兄なので、劉備よりも家柄で勝り、しかも落魄れていません。八俊の1人として有名だけど、後漢書では八及の1人とされています。

Si.焉君郎(-194 魯恭王余の後裔)

先祖から判断して劉表と同等の家柄でしょうか(ただし分家)。劉備の良き理解者なのに、SWEET三国志」では完全に嫌な奴と化しています。ちなみに彼は劉備の皇后穆氏*の舅でもあります。

Wu.虞伯安(-193 東海恭王彊の玄孫)

劉彊*は世祖光武帝の長男なので名門なのは当たり前。だから推戴された挙句、皇帝を僭称したという理由で公孫に殺された不幸な人。

Liu.曄子陽(普の子 阜陵王延の後裔)

劉延*は光武帝の4男なので(いや、それよりも延の素行の悪さのせいで)、劉虞には少し劣るのでは?魏では肩身が狭かったようですが、曹叡の代まで仕えました。

 

 系図が本物だとすると、いずれも相当高貴な家柄ですな。しかし、劉備・劉表・劉焉は西漢のとき分かれた家系であるのに対し、残りの3人は東漢の皇帝の子孫なので一概に比較できません。では、東漢の建国者・光武帝は高貴な生まれだったのでしょうか?

 

              

2:光武帝とは

 劉秀文叔。身長73寸(168cm)。劉勝の弟長沙定王発*の子春陵節侯買の玄孫。鬱林太守外の曾孫。鉅鹿都尉回の孫。南頓令欽(-3)の子。あれ?劉備に負けてる?しかも欽は長男じゃないし、秀も字から判る通り3男です(長兄の劉縯伯升は更始帝*に殺された)。更に後漢の歴代皇帝も長男や次男は稀です(年長だと傀儡にしにくいから)。まあそのお蔭で献帝ですら景帝と12代しか離れていないのですが。

 

 

3:用語解説

劉勝*    前113年没。彼の墓・満城漢墓は満城県にて発見され、遺体は現在河北省博物館にある。次の『』内の文章は「中国歴代皇帝誌」より抜粋。『玉は遺体を腐敗からふせぐと信じられていた。劉勝の遺体は2156片の玉札を金糸でつなぎ合わせた「金縷玉衣」を着せられていた。』『1968年、前漢初期の中山靖王劉勝とその夫人竇綰の墓が河北省満城で発見された。この前2世紀後半の墓は横穴崖墓で、幸い盗掘をまぬがれ、2800あまりの副葬品(玉、屍衣、馬や戦車)が発見された。』

陸城亭侯貞* 後に献上金不足で侯位を剥奪された。劉備が督郵に賄賂を贈らず流浪の身になったのは遺伝子の為せる業か?ってそれは演義の話か。

ギネス記録*「血に飢えた人」と呼ばれたモロッコ皇帝モーレイ・イスマール(1672-1727)は7001721年に生まれた。

劉余*   宮殿を造るのが好きで、あるとき孔子の旧宅を壊して宮殿を拡げたら壁の中から古書を発見したというエピソードの持ち主。罰せられたという記述は無いから、儒学が国学となる前の出来事なのだろうか。

穆皇后*  劉焉の3男(劉璋の兄)・瑁の未亡人だった。245年没。

劉彊*   皇太子だったが、母の郭后が廃せられたため自身も廃嫡された。

劉延*   傲慢。贅沢。部下をこき使う。そして何より強姦魔

長沙定王発*母があまり寵愛を受けなかったため、封地が小国長沙になった。当時の長沙は、左遷された者が嘆きの詩を作ったほどの僻地だった。

更始帝*  劉玄、字は聖公。更始は年号。買の子孫。熊渠の曾孫。利の孫。子張の子。母は何氏。光武帝が分家の出なのに対し彼は本家の出で、しかも年長。25年、王莽巨君を滅ぼし緑林軍政権の皇帝となるものの、同年に劉盆子*率いる赤眉軍(後に光武帝に降服)に殺された。

劉盆子*  斉王肥(劉邦の長男)の次男・城陽景王章の子孫

 

 

4:総括と所見

何だかんだ言ってとどのつまり、血筋だけで成功できるのは子や孫辺りまでですよ(例えばどこぞの四世三公の一族なんか…ぶつぶつ)。劉秀の家は大した家柄じゃない(今回扱った中では)けど裕福な豪族だった一方で以後の後漢皇帝なんか初期から既に外戚の傀儡に過ぎないし、劉備も劉表も劉焉も劉虞も劉曄も自身の才能や処世術で歴史に残るような人物になったのですよ。え?劉備は血統や魅力だけが取り柄なんじゃないかって?とんでもない!例えば袁紹が劉備を保護したのは劉備が袁譚を推挙してくれた恩人だからですよ(だから譚は進んで劉備を迎えに行ったそうです)。また、『典略』によれば意外なことに「平原の劉子平は劉備が武勇に秀れていると知っていた」のだそうです。演義の情けない劉一族のイメージに毒され、彼らが強かであることを忘れるべからず。

 

 

5:参考文献

・後漢書/范曄 撰/吉川忠夫 訓注/岩波書店       

・大漢和辞典/大修館書店 

・全訳 後漢書/范曄 撰/渡辺義浩・藤高裕久・塚本剛・平田陽一郎 編/汲古書院

・三国志/陳寿 撰/今鷹真・井波律子 訳/筑摩書房

・正史三国志英傑伝別巻 三国志全人名辞典/『中国の思想』刊行委員会 編/徳間書店

・歴史群像[中国戦史]シリーズ 真・三国志/学習研究社

・歴史群像新書 覇 中国大帝伝/立間祥介 著/学習研究社

・三国志武将画伝/中村亮 画/瀬戸龍哉 伝/何宝通 美術監修/立間祥介 監修/小学館

・三国志英雄名将事典/荘田翠娘 著/満珠菓子子 イラスト/技術評論社

・横山光輝三国志事典/潮出版社      

・広辞苑 第五版/新村出 編/岩波書店

・世界伝記大事典 日本・中国・朝鮮編/ぽるぷ出版  

・歴史パラダイス/光栄

CHRONICLE OF THE CHINESE EMPERORS (中国皇帝歴代誌)/アン=パールダン 著/月森左知子 訳/稲畑耕一郎 監修/創元社

THE GUINNESS BOOK OF RECORDS(ギネスブック 世界記録事典)/ピーター=マシューズ 編/大出健 訳/騎虎書房

 

 

            6:漢室の裔 略系図

 

            景帝啓開(前188-141

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         発(10男) 勝(9男) 余(5男)

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      光武帝(前6-57)   貞   表  焉

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      延  彊 顕宗明帝  先主 修季緒 璋季玉

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      曄  虞 章帝(5男) 後主     循

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     陶季冶 和   霊帝  璿文衡


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