三国志研究会レジュメ

THE LORD OF THE KING'S SEALS

政治経済学部経済学科二年
玄鳳

 今回のテーマは玉璽。玉璽といえば、コーエーの三国志シリーズでは、問答無用で所持者の魅力が100になるという究極のアイテムである。演義においても、物語の前半において要素を占めているように思われる。今回は、玉璽の意味(存在価値)に焦点をあてて考察をすすめていきたい。

1. 玉璽とは

玉璽……天子の印章。皇帝の証明・象徴。
  秦代に皇帝の印字だけを璽と称し、玉を用いることとした。
  (⇔群臣のものはすべて印と呼び、銅印と定めた。)
尚、漢の制度では官職位階を表す章識としての官吏の印と官署の印は区別された。
皇帝が玉璽、皇太子は金印亀鈕、諸王侯は金印駝鈕、列侯・丞相・将軍は金印亀鈕
※中国では、玉は金と並んで高貴なものとして重宝された。

2. 演義のエピソード

演義で述べられている玉璽について、順を追って見ていこう。

やはり、孫堅が焦土と化した洛陽で玉璽を発見する話が有名であろう。結局、その玉璽は曹操の手に帰することとなった。その後の玉璽の帰趨に関しては、演義には書かれていない。

演義では、孫堅が手に入れた玉璽は次のようなものであった。(資料T)

玉で作られていて、大きさは四寸。つまみには、五匹の龍が彫りだされている。
一方の角が欠けていて、「受命於天、既寿永昌」の印文が刻まれていた。
秦の皇帝から、漢の高祖、そして歴代漢室に受け継がれてきた。=伝国の璽

3. 正史の注

前述した演義での玉璽のエピソードを正史に探してみる。しかし、陳寿の書いた正史「三国志」に、演義のエピソードは記述されていない。だが、裴松之の注に演義のもとになったと思われる寓話が記されている。この記述を読みながら、演義での話を整理していこう。

まず、孫堅が洛陽で伝国の璽を手に入れた話は、演義のくだりとほぼ一致する。(資料U)特に、玉璽の形容は全くと言っていいほど類似している。おそらく、演義での話はこれがもとになっているのであろう。袁術が皇帝を僭称する記述は正史本編にあるのだが、孫策から兵馬の担保として受け取った(奪った)という記述は注にも見受けられない。次に、演義で登場していた徐?という人物だが、驚いたことに正史の注にその名前が残されている。(資料V)気になるのは、徐?が奪った印璽とはいったいどのようなものであったかということだ。これは単に袁術が独自に作らせたもので、伝国の璽などの漢の印璽とは関係がない可能性がある。
ここで、孫堅が玉璽を入手したエピソードへの裴松之の見解を見ておこう。(資料W)

4. 玉璽の象徴性

玉璽は、皇帝のみが持ちうる「神聖ニシテ、犯スベカラ」ざるものである。裴松之が述べているように、これを秘蔵するということは漢室への忠誠を疑ってしかるべきと言えよう。また、玉璽は崇高なものであると同時に、権威の象徴でもある。野心の表象にもなりうるのだ。
演義において、玉璽が孫堅→袁術→曹操と持ち主が移り変わっていった様は、まさに野心を表しているとも取れるのではないか。

5. まとめ

演義では、正史の注にある別々の話を、玉璽によって一本に繋げている。玉璽を手に入れた孫堅と袁術は、それぞれに野心を抱き、結局二人ともあえない末路を辿る。漢室再興を目指す劉備を正当とする演義は、玉璽を用いることによって、漢室への背信とその代償としての失敗を結び付けていると思われる。孫堅は正史では忠義の士として扱われているだけに、劉備に対抗する群雄として野心家の面を脚色した感がある。袁術の場合、彼が伝国の璽を持つことで、よりいっそう野心で身を滅ぼした状況を効果的にしている。
玉璽という特殊な小道具が、人物たちの人間性を描き出す様子を観察すれば、その魅力の裏に隠された存在価値の重みが感じられるのではないか。

<参考資料>
正史三国志1、6                 今鷹真・井波律子訳    ちくま学芸文庫
中国古典文学大系 三国志演義(上)   立間祥介訳         平凡社
印章総説                     吉木文平           技報堂
古印の美                     山口平八          吉川弘文館