武器に見る『三国志演義』の英雄達

〜青龍偃月刀を例にとって〜

紺碧の空

<始めに>
 青龍偃月刀に蛇矛と云えば三国志を読んだことのある人ならば誰しもが知っているのではないだろうか。また、諸葛亮といったら白羽扇がトレードマークである。英雄達の武器・道具というのはそれ自体が英雄達のトレードマークになっている。
 しかし、英雄達の武器が持つ意味はこれに留まらない。中国古典小説における“英雄の武器”というものを見ていくとこれらの武器が非常に大きな役割を果たしていることが分かる。今回は『三国志演義』において、英雄達の武器、その中でも青龍偃月刀がどのような意味を持っているのかを見ていきたいと思う。

<第一章 青龍偃月刀について>
 三国時代に青龍偃月刀は存在しなかった、などと云うツッコミはこの際無しである。人々のあいだで関羽といったら赤ら顔に長い髭、そして何といっても青龍偃月刀なのである。それにしても、この青龍偃月刀は典型的な“英雄の武器”だと思うのだが、惜しむらくは『三国志演義』が英雄譚では無いので有名な割には地味である。
 青龍偃月刀は劉関張が桃園で義兄弟になった直後に劉備の雌雄一対の剣や張飛の蛇矛などと一緒に作らせた武器である。重さは82斤でまたの名を冷艶鋸という(@)。その後、この青龍偃月刀は関羽のトレードマークとなる。考えてみれば赤兎馬よりも付き合いは長い。この武器で顔良を斬り、千里を走り、単刀会を切り抜け、麦城に散ったのである。それはさておき、関羽の亡き後、青龍偃月刀は潘璋のもとに留め置かれる。そして、それを息子の関興が奪い返すのである。その後関興は危機に陥るが父の霊に助けられた。
 これが『三国志演義』における青龍偃月刀の歴史である。ちなみに、関興の死後、その子の関統とか関彝に受け継がれたかどうかは定かではない。

 それでは、『三国志演義』の以外の三国志物語ではどうか?
『三国志外伝』(徳間書店/立間祥介・岡崎由美)という本は三国志に関する民間伝承を拾い集めた本である。日本にも訳本があるが惜しむらくは全てを収録していない上に既に絶版になっている。この本に関羽の武器の由来についての民間伝承が載っている(以下関羽の民間伝承についてA)。
 これに収録されている話によると、関羽がまだ若い頃、関羽が油泥棒の濡れ衣を着せられたので夜通し見張りをしていたところ何と油を盗んでいたのは青龍だった。関羽は青龍を取っ捕まえるとその二本の角をへし折った。それが雌雄一対の剣になったのである、ということだ。なぜ、この剣が雌雄一対の剣だったか、ということはさておき、青龍を倒して得た、というのが非常に重要である。その理由については後述する。また、その剣に合う鞘がないのでそれを探していたら不思議な老人が「お主が悪と戦うならば差し上げよう」といって鞘をくれた。そして、その後関羽が成長すると、関羽は剣と鞘のお告げに従って悪い奴をぶった切り、天の加護を受けつつも名を変え、顔を変じてその地を逃れ、劉備・張飛と出会うのである。ここにおいて“青龍剣”は天意の象徴として描かれている。
 ところで、『三国志平話』には青龍偃月刀は見られないがこれは当然である。青龍偃月刀は明代になってから開発された武器だと云われているからである。こう考えてみると、『三国志外伝』に収録されている話が明代以前から語り継がれてきた話だとすればこの伝説に青龍偃月刀が出てこないのは当然といえる。しかし、それはこの文の主題ではないので深入りはしない。

<第二章 青龍偃月刀と関羽>
 先ほど、青龍を倒して得たのが重要だ、と述べたのは、こういった類の話は他にも見られるからである。何らかの神獣や難敵を倒して武器を得る、というのは英雄譚にとってとても重要な役割を持っている。『説岳全伝』では主人公の岳飛が洞窟の中で大蛇を倒して歴泉槍という槍を得る(B)。この槍は神槍で、このおかげもあって岳飛は大活躍する。しかし、この槍は岳飛の死に際して天に召されてしまう。つまり、こういった物語において“英雄の武器”とは英雄が天の加護を受けている証であり、その武器を失うと云うことは天の加護をも失う、ということなのである。また、こういった武器を得ることはその物語においてその人物が天意を受けて主人公であることを示す。だからこそ『三国志演義』において青龍偃月刀はあまりクローズアップされなかったのだろう。
 しかし、青龍偃月刀がこういう役割を全く失ったわけではない。関羽の死後、青龍偃月刀は潘璋の手に渡った。しかし、その後息子の関興がこれを取り返すが、取り返したのち数度にわたって父関羽の加護を受けた。これを翻って考えてみれば、関興が青龍偃月刀を得ることによって天意を(この場合は父関羽の加護)を受けた、ということを示しているのである(C)。
 一方で『三国志演義』を離れると青龍偃月刀は“関羽ブランド”を表す記号的役割を得る。例えば『説岳全伝』で、関羽の子孫たる関鈴は関羽の子孫であり、赤兎馬に跨り青龍偃月刀をふるって岳雲(岳飛の息子)を助ける(D)。この関鈴は水滸伝の関勝の甥っ子という設定だが、この関勝も渾名は“大刀”であって、青龍偃月刀の使い手である(E)。いずれもそれぞれの小説の中でトップクラスの強さを誇る豪傑である。このように後代の小説で“青龍偃月刀”と云えば「関羽の子孫」というブランドの証になっているのである。しかし、これらの青龍偃月刀には当然の事ながら記号としての意味しか持っておらず『三国志演義』のような特別な意味は持っていない。

<第三章 他の登場人物達の武器>
 それでは関羽以外の人物達の武器(及び道具)はどうであろうか。関羽&青龍偃月刀以外に武器がトレードマーク化されて物語上の意味を持たされているのは張飛&蛇矛と諸葛亮&白羽扇である。ひょっとしたら劉備&雌雄一対の剣もそうと云えるかもしれない。
 張飛の蛇矛は『三国志演義』においてはただのトレードマークといえるだろう。但し、『三国志平話』においては「蛇矛」という名称ではなく「神矛」という呼称を与えられている。平話において張飛の矛は全登場人物中でナンバーワンであると規定されている(F)。これは、張飛が当時の三国志物語の中で主人公格であったことを考えればあまり不思議はない。ただ、『三国志演義』に至るとこの神性は若干薄れ、先述したようにただのトレードマークとなってしまっている感は否めない。
 劉備が雌雄一対の剣を作らせたことは『三国志演義』に見えるが(@)、劉備は自ら戦うことはほとんど無いし、諸葛亮のように神憑り的な知謀を発揮することもないので、物語上、特別な意味は込められていないだろう。ただ、“双剣”というのは女性を表す武器なので、物語が育ってゆくあいだに、劉備の女性っぽさを演出するために付け加えられた可能性は大いにある。むしろ、そういった意味で“双剣”が演出上の意味を持っているのだろう。
 諸葛亮の場合は若干特殊である。諸葛亮は当然武器をふるって戦いに出ることはない。しかし、関羽が青龍偃月刀と持っているのと同じように諸葛亮といえば白羽扇である。民間伝承などによると、この白羽扇は諸葛亮が大鵬鷹子鳥という鷹の化け物を退治した際に、その羽から作ったとされている(G)。ここでもまた化け物である。化け物や神獣を退治して、その神性を受けた武器を授かることにより自らもその神性を受け継ぐ、というのはある種のパターンといえよう。
 但し、諸葛亮の白羽扇は子に受け継がれたりはしないし、演義においてもあまりクローズアップされていない。これは先程来述べているように『三国志演義』自体がその様な物語構成ではないことと、白羽扇が諸葛亮とのみセットになって考えられているからである。
関羽の青龍偃月刀は、それが関羽の神性を表すシンボルとして使用されていたが、白羽扇の場合は綸巾・鶴袍とセットになって諸葛亮の出で立ちとしても機能している。この理由は白羽扇が武器ではないからだろう。

<第四章      青龍偃月刀が示すこと>

 なぜ、関羽と諸葛亮にだけ武器及び持ち物にこのような特殊な意味が与えられたのだろうか。思うにこれは後世の人気に由来するものと思われる。武器に神性が与えられるのはその人物が読者及び視聴者から支持を得ているいわば主人公として描かれているからに他ならない。だからこそ、平話において張飛の武器は神性を得ていたのだろう。
 しかし、張飛ファンにとっては残念なことに、時代を経るに従い次第に主人公は劉備・関羽、そして諸葛亮に移行していってしまう。このうち、劉備は自ら戦を指揮しないので関羽と諸葛亮がそれぞれ主人公格の扱いを受けたのだろう。つまり三国志物語において武器に神性が与えられているものこそが主人公、といえるのではないだろうか(劉備もまた、“血統”という神性を得てはいる)。“武”において『三国志演義』の主人公は得物とする青龍偃月刀に神性が付与されている関羽であるといえる(そして、“知”の主人公は諸葛亮)。
 逆を云えば、三国志の登場人物に独立した物語があるとすれば、その物語における主人公がこういった神性を持った武器を付与されている、ということが大いにあり得る。むしろ、そういった先行した物語があるからこそ、『三国志演義』が成立するまでにそういった認識が人々のあいだで広まって、今日の英雄達の武器像ができあがったのかも知れない。三国志の登場人物の独立した物語が存在することは『聊齋志異』に関羽が蚩尤を倒しに行く、という話が見えるので明らかであるが(F)、そういった物語において英雄の武器が強い個性を帯びていったのではないか。
 それを示唆する一つの証左が『三国志平話』における趙雲の武器である。『三国志平話』によれば趙雲の槍は涯角槍といい張飛の神矛を除けば物語で第一とされている(G)。名前まで付与されて個性を与えられていることから存在するとすれば、別の物語ではもっと強い個性を持っていたのかも知れない。また、その逆の例としては『花関索伝』が挙げられる。この物語の主人公は関羽の架空の息子関索であるが、この物語の後半において関羽の刀が神性を息子に付与する一つのキーアイテムとなっている(関羽が絶命した泉に沈む関羽の刀を関索が手に入れて強敵を破る、という話がある)。これは、数多に存在する三国志物語で英雄の武器が非常に強い個性を与えられていることを示す一例となっている。

<終章 まとめ>
 これらの話を総合してみると、武器というものが物語上とても大きな役割を果たしていることが分かって頂けたかと思う。中国の通俗文学において英雄の武器は主人公にある種の神性が付与されたことを示し、その人物が主人公であることを示す。それは『三国志演義』においても例外ではない。
 また、『三国志演義』は歴史重視の物語であるにもかかわらず武器の神性が見て取れるのは、『三国志演義』が先行する物語諸群に強い影響を受けたからであろう、という推測も成り立つ。そしてそれは逆に、『三国志演義』の登場人物を主人公とした独立した物語があったのではないか、という推測も成り立たせるのである。いかがであろうか。

<感想>
 始めにやろうと思ったのは諸葛亮の出で立ちについて。次に羽毛扇について、そして三国志の英雄達みんなの武器をやろうとして失敗、最後に至ったのがなぜか青龍偃月刀でした。う〜ん、はちゃめちゃな展開だ…。そんなこんなで、文章の内容もかなりこんがらがっています。書いている途中でテーマが変わってきたのでとてもまとめるのが難しかったです。

<部員の批評>
         敵方にも武器がでてくるが?(例:徐晃&大斧)→一応名前はあるが、一般的な武器として描かれている
         張飛の蛇矛の民間伝承を見るとかなり適当だが…(自分も強い武器が欲しかったので槍を岩にたたきつけていたら出来た)→張飛らしくて人気がでそう
         東西を問わず、英雄の武器には詳しい開設や個性が付与されている→中国だけでなく世界共通か?
         張飛の「神矛」は張飛が強かったから神矛なのか?それとも特別な矛なのか?→今のところ不明(著者私見=恐らく特別なものだと思う)
         関興が青龍偃月刀を潘璋から取り返す前に関興には関羽の加護があるが?→武器は正統な持ち主を選ぶ?その前に関羽にお祈りをしたから?
         天意を与えられた人は(=主人公は)ろくな死に方をしない→元々は悲惨な死に方をした英雄の鎮魂のための物語だったからでは?

<参考資料>
@『完訳 三国志1』 小川環樹・金田純一郎訳 岩波書店 1988年 18頁
A『三国志外伝』 立間祥介・岡崎由美訳 徳間書店 1990年 15〜25頁
B『説岳全伝』 銭彩著 世一文化事業股?有限公司 1992年 23頁
C『完訳 三国志7』 小川環樹・金田純一郎訳 岩波書店 1988年 71頁
D『説岳全伝』 銭彩著 世一文化事業股?有限公司 1992年 277頁
E『完訳 水滸伝7』 清水茂訳 岩波書店 1999年 122頁
F『聊齋志異 下』 立間祥介編訳 岩波書店 1997年 90、94頁
G『三国志平話』 二階堂善弘・中川諭訳 コーエー 1999年 136頁
H『三国志外伝』 立間祥介・岡崎由美訳 徳間書店 1990年 53〜58頁