三国志神仙伝2

転生譚から見る三国志

紺碧の空

<序章>
    他の中国古典小説に見られて、『三国志演義』に見られない要素=転生譚
    『三国志演義』を特徴づける要素となっている
    日本人に『三国志演義』が受け入れられた理由にもなっているのではないか

<第一章        転生譚とは?>
    物語の導入や締め括り、そして人物の死など説明に使われる話
    不条理な死・結果に対する説明
    特定の人物に特定の役割を与える
    英雄の美化、鎮魂(かわりに卑下される人物も)

<第二章        『三国志演義』以外の中国古典小説の場合>
    『説岳全伝』(英雄小説)
    『水滸伝』、『三侠五義』(侠義小説)
    『封神演義』、『西遊記』(神魔小説)
    『残唐五代史演義』(歴史小説)

<第三章        『三国志平話』における転生譚>
    『三国志平話』→劉邦らの裁判→最後は劉淵が統一

<第四章        『三国志演義』と転生譚>
    作者が現実性を求めた?
    物語の悲劇性を高めようとした?
    物語の性質からして不必要だと判断した?
    物語の完成度が高く必要ない?
    そもそも、他の小説が『三国志演義』を換骨奪胎したが、ストーリーなどが未熟なため、転生譚が必要になった。

<おわりに>
    転生譚がないことが日本での三国志普及に役立った
    転生譚がないことでより悲劇性が増した→『三国志演義』の特異性

三国志神仙伝2

転生譚から見る三国志

紺碧の空

<序章>
 『三国志演義』は中国古典小説の中でも異彩を放つ作品である。他の作品群と比べてみると『三国志演義』がいかに特殊な作品であるかが解る。しかし、どのように特殊なのか、なぜ特殊なのか、いかにして特殊になったのかを探ってゆくとそこには『三国志演義』がどのような作品で、なぜこのような体裁をとることになったのか、そして、いかにして成立してきたのか、というのが見えてくる。
 私は、シリーズ「三国志神仙伝」の一環として、物語の中の一見すると荒唐無稽に思えるような記述から『三国志演義』の姿を探ってゆきたい。特に、他の作品群には見られるが『三国志演義』にはあまり記述のない事柄を探り、逆に『三国志演義』の特徴を形づけてゆきたいと思う次第である。

 今回はその第一回目(神仙伝シリーズとしては二回目)として、「転生譚」を取り扱いたいと思う。他の多くの(全てではない)中国古典小説において転生譚は重要な役割を担っている、若しくは少なからず転生譚が顔を見せる。しかし、『三国志演義』において転生譚は全く見受けられない。先行する『三国志平話』においては転生譚が採用されていたのになぜ『三国志演義』ではなくなってしまったのか。この理由を考えると『三国志演義』の特徴がつかめるのではないだろうか。
 更に、私は、転生譚の不使用が『三国志演義』が日本人に受け入れられた要因の一つになっているのではないかと考えている。また、『三国志演義』が転生譚を必要としない作品だからこそ日本人に受け入れられたとも言えるだろう。
 それではさっそくみてゆきたいと思う。

<第一章        転生譚とは>

 そもそも転生譚とは何か。転生譚とは、物語の導入や締め括り、そして人物の死などの説明に使われる一種の方便である。ある特定の人物を、特定の因果を持った神や過去の人物の生まれ変わりと置き換え、物語に因果関係を持たせたり、英雄の不条理な死・結末に対して説明を与えたりする役割がある。
 例えば『三国志演義』に先行する『三国志平話』では秦末漢初の韓信らが高祖と呂后を訴え、司馬仲相がこれを裁き、天帝が韓信を曹操に、彭越を劉備に、英布(黥布)を孫権、高祖は献帝、呂后は伏皇后として生まれ変わらせ、裁判官の司馬仲相は司馬仲達に生まれ変わらせ天下を治めさせることにしている。これについては後で詳しく述べる。
 また、『説岳全伝』は玉皇大帝の字を「王皇犬帝」と書いてしまったのを玉皇大帝が見て激怒し、徽宗皇帝に苦難を追わせる、という物語で幕を開け、岳飛は大鵬鳥の生まれ変わりであるということになっている。また、この大鵬鳥というのは釈迦如来の説法中に放屁をした女士蝠を殺してしまい、その罰のために遣わされるという設定で、女士蝠は秦檜の妻として生まれ変わり岳飛を滅ぼす、という物語になっている。
 このように、転生譚は物語の様々な因果関係を定めるのに使われることが多い。これを仮に類型化してみると、@物語全体の因果関係、A登場人物の因果関係、B登場人物個々人の因果、となる。また、先述したように、これらの結果として観客や読者は、例えば岳飛の死などといった、登場人物の死や、秦檜の妻が岳飛を殺す(厳密には“殺させる”)などと云う結果に対する説明を与えられることになる。また、時として英雄を美化したりするのにも使われるし、その原初においては鎮魂の役割も果たしていたものと思われる(なぜなら、こういった物語が伝えられるようになったそもそもの理由が鎮魂や英雄美化だからである)。

 以上のことを前提に、次は個別の作品について転生譚がどのように使われているのかをみてゆきたいと思う。まずに類型別に『三国志演義』以外の物語における転生譚の使われ方を見た上で、次いで『三国志平話』および『三国志演義』についてみてゆこう。

<第二章        『三国志演義』以外の物語>

1,英雄小説の場合<『説岳全伝』>
恐らく転生譚が最も効果的に使われているのがこの英雄小説の類ではないだろうか。英雄小説は歴史小説の一ジャンルであるが、『三国志演義』などの歴史小説と違い特定の人物およびその派閥の人々について特にスポットを当てた物語である。日本で訳本があるものとしては清代の銭彩による『説岳全伝』が挙げられる。但し、田中芳樹による日本語訳は原作に忠実ではないのであまり参考にならない。ここでは台湾の世一文化事業股?有限公司の『岳飛伝』を底本に用いる。

 『説岳全伝』において転生譚はどのように使われているのだろうか。先ほど少し述べたが今一度説明したいと思う。まず第一回は「天は赤鬚龍を下界に遣わし 仏は罪して金翅鳥を降凡させる」というタイトルである。あらすじは以下の通り。

宋朝が成立し、天下は泰平であった。
ここに西方極楽浄土では釈迦如来が説法を行っていた。女士蝠はその説法中に放屁してしまい、激怒した大鵬金翅明王に殺されてしまった。仏はそこで全ての因果を悟り、大鵬鳥を叱りつけ下界に生まれ変わらせた(則ちこれが岳飛である)。女士蝠は王氏に生まれ変わり秦檜と結婚し後に岳飛に復讐することになるのである。
一方、天下泰平を貪る宋朝では徽宗皇帝が天帝に奏上する文章に「玉皇大帝」を誤って「王皇犬帝」と書いてしまい、天帝の逆鱗に触れてしまった。激怒した天帝は赤鬚龍を北方の女真族に生まれ変わらせ中原を犯すように宿命付けた(則ちこれこそが金の四太子であり、釈迦如来の悟った因果で、釈迦如来は赤鬚龍に対する者が居ないので大鵬鳥を下界に遣わしたのである)。
また、大鵬鳥は下界に赴く途上で蛟龍の精を殺したがこれこそ後に万俟?に生まれ変わり岳飛を殺すことになるのである。

そして最終回たる第八十回のタイトルは「精忠を表して 墓頂に封を加え 因果を証して 大鵬位に帰す」で、生き残った岳家軍の全員がそれに応じた報償を得、死んだ人間も加封された。また、天界においても全ての因果が解き明かされ、収まるべき所に収まった、という話である。

 この『説岳全伝』において転生譚は大きな意味を持っていると言わざるを得ない。ここではいちいち詳しく述べないが、先述した分類に当てはめると@〜Bまでの全てに当てはまる。転生譚によってなぜ、宋朝が苦難を受けるのか、岳飛がなぜ望みを果たさず死ぬのか、王氏や万俟?が岳飛を苦しめるのはなぜか(当然報いは受けるが)、ということがしっかり規定されている。これにより観客や読者は物語のストーリーに対して得心がいくのである。
 もし、この物語に転生譚がなかったらこの物語はただ単に不条理な悲劇と化してしまうばかりか、物語としても説得力の弱いものになってしまうだろう。物語全体にちりばめられている非現実的現象が全て無意味になってしまうし、物語が大きく史実からそれていることも全く説明が付かなくなってしまう。
 つまり、英雄小説『説岳全伝』にとって転生譚は必要不可欠な要素であるといえる。

 2,侠義小説の場合<『水滸伝』、『三侠五義』>

 『水滸伝』は日本でも広く広まっている物語である。侠義小説とは則ち、この『水滸伝』のように義兄弟等の契りを結び、義によって結ばれた人や集団が活躍するような小説である。

 『水滸伝』は百八人の好漢女傑が梁山泊に集い戦う話であるが、その百八人は実は魔王の生まれ変わりであり、宋の将軍・洪信がこの封印を解いてしまい百八人がこの世に出ずることになった。という話である。
 しかし、この『水滸伝』においては転生譚があまり意味をもつようには思えない。確かに、『水滸伝』において転生譚は先ほどの分類では@に該当するように物語全体の因果関係を規律している。「魔王の生まれ変わり」であるという理由から百八人は梁山泊に集い、大いに名を轟かせることになるからである。ところが、これは、“梁山泊に集まる”、ということだけ規定すればよいのであって、人数は別に何人でも影響はないし、物語の進行にも殆ど影響しない。
 その証拠に、『水滸伝』は『宣和遺事』等の逸話などから徐徐に集められた物語であり、最終的に百八星が成立したのは明代に入ってからである。また、物語の進行に関しても、百二十回本、百回本、七十回本など様々である。七十回本に関しては物語が進んでゆくにつれて悲惨になるから後半をカットしてしまったという向きもある。これは物語の悲劇性につじつまを合わせる転生譚の役割からすると整合性に欠ける。
 これはやはり『水滸伝』の成立および登場人物の多さに起因すると思われる。百八星は時代によって付け加えられ、彼らのエピソードも時代によって変化してきたからである。その様な場合全体の大まかな流れは規定されうるが個々の細かい話までは転生譚によって規定することが出来ない。また百八星全員はおろか、天?三十六星だけですら個別に因果関係を規定するのは不可能だろう。
 ただ、最終的に、百八星が概ね不幸な道を辿る事へのエクスキュースになっている事実は完全には無視することは出来ない。

 『三侠五義』は宋代を舞台にして侠義公案小説である。公案小説とは則ち日本で言う大岡越前もののように名裁判官が悪を断罪するという話である。『三侠五義』は包拯という宋代に実在した裁判官と八人の好漢達(三侠+五義)についての話である。この話は今までの話と違い悲劇的な物語ではなく、愉快痛快な話である。
 結論から言うと『三侠五義』に転生譚はない。代わりに包公(包拯)は悲惨な幼少時代を送るが、これが転生譚の代わりといえるかも知れない。悲劇でないこと(つまり、物語に結末に対して説明が不用)がこの物語に転生譚が取り入れられていない理由であろう。

3,神魔小説<『西遊記』、『封神演義』>

 神魔小説において転生譚は必須といえる。なぜなら、多くの神や仏がでてくるこれらの物語において、転生譚および因果関係の規律こそがこれらの物語の目的だからである。
例えば、『封神演義』は紂王が女禍を馬鹿にした態度をとったために女禍が妲己らを遣わした、という話で始まり、最終的には道界のお偉いさんが神々を神界に封じるという話で終わる。これは則ち前者がA、後者が@の分類に当てはまる。ここにおいて、転生譚は英雄小説とは違った意味で必須条件になる。英雄小説において転生譚は物語の構造上必要な要素であったが、神魔小説においては転生譚こそが物語の主題になっているのである。
『西遊記』にも同じ事が言える。『西遊記』の最終回では最終的にみんなが悟りを得てかくあるべき姿・場所に戻ってゆく、という場面で完結する。これがなければ殆ど全てが想像の産物であるこれらの小説が生まれる余地がない。仮にこれらの結末がなくなるとしたら話の収拾が全くつかなくなってしまい、作品として成り立たないのではないか。多くの神魔小説において転生譚は物語を大円団させるための必須事項として、その物語が収束してゆくための主題とならなければならないのである。

4,歴史小説<『残唐五代史演義』>

 それでは、『三国志演義』と同じジャンルに属す物語はどうか。ここでは唐末から五代にかけての物語『残唐五代史演義』にスポットを当ててみたいと思う。
 『残唐五代史演義』の前半は五代に活躍した李克用の養子である李存孝に焦点を当てた物語である。李存孝が舞台から退いた後は焦点が合わず散漫な物語になってしまっているらしい。とりあえず、この物語の前半は李存孝という人物にスポットライトを当てた歴史小説と英雄小説を足して二で割ったような(乱暴な表現だが)物語である。この物語には虚構の部分が多く、特に李存孝に対する脚色が大いに付け加えられ、彼は大活躍をする。但し、最後は奸臣に陥れられ、義理の父親である李克用に疑われ死を賜る。また、死後も李克用絶体絶命のピンチに霊験を表し父を救っている。
 この物語において、前半の主人公たる李存孝は実は天帝から遣わされた人物である。処刑される際も、車裂の刑にされるものの超人である彼はびくともせず、むしろ天帝に呼ばれているとの理由で自ら死ぬのである。そして死後も霊験を表す。
 これは転生譚を利用して「李存孝」を美化しているということが出来る。むしろ始めは鎮魂のためにこういった美化が行われていたのだろうが、次第に物語として見栄えがするように発展してきたのだろう。それはまた別の機会に考察するとして、この物語において転生譚は必然とまではいかないが、物語を成立させる上で大きなウェートを占めているということが出来るだろう。先程来の類型で言えばBに該当すると言うことが出来るだろう。則ち、転生譚を利用することによって李存孝個人について様々な規定や美化を行っているのである。

<第三章        『三国志平話』における転生譚>

 『三国志平話』の発端は以下の通り。

後漢の光武帝の時代、司馬仲相という書生が始皇帝の暴虐について天帝批判をしたため、冥界で裁判を行うことになった。その裁判が理にかなっていれば彼は皇帝になることが出来、そうでなければ地獄に堕ちるという。果たしてその裁判とは漢の功臣が高祖と呂后を訴え出たというものであった。
 韓信・英布(黥布)・彭越は漢の功臣でありながら無実の罪を着せられて処刑されてしまった。三人は自分たちの冤罪を訴えたのである。仲相はこれを聞くと怒って高祖を呼びつけた。高祖は呂后に罪を押しつけた。呂后も罪を高祖に押しつけたが、呂后は新たな証人を求めた。則ちそれは?通、字は文通というもので、彼の証言により高祖が三人を裏切ったことが明白となった。
 そこで仲相は韓信を曹操に、彭越は劉備に、英布は孫権に生まれ変わらせ天下を与え、高祖と呂后はそれぞれ献帝と伏皇后に生まれ変わらせて悲惨な人生を送らせることとした。また、?通には天下の智者として諸葛亮に生まれ変わらせることとした。天帝はこの判決を見て大いに満足し、仲相を司馬懿として生まれ変わらせて天下を統一させることにしたのである。

 またラストは以下の通りである。

 天下は司馬氏の手中に落ちたが、劉禅の外孫である劉淵は北方に逃れ漢を再興した。一方、晉では懐帝の御代になったが劉淵はこれを攻め、懐帝をとらえて劉禅の廟の前で殺して祭祀を行った。そして閔帝が即位すると竟にこれを滅ぼし漢は再び天下を統一したのであった。

さて、この物語がいかに矛盾に満ちあふれているかおわかりだろうか。そもそもこの物語の始めは一見すると緻密に転生譚が構成されているように思える。成る程一見すると理にかなっているように思えるが、実のところストーリーと照らし合わせると全く破綻している。
 『三国志平話』では最後、劉淵が天下を統一することになっているが、これは物語の最初に述べられている転生譚とは一切関係がない。せっかくうまい裁きを見せ、司馬懿に生まれ変わった仲相は結局天下統一は出来ないし、彼らの子孫も全くのうつけとして描かれ、蜀漢を次ぐ劉淵に天下を奪われるのである。また、最終的に劉淵が天下を統一することに見られるように、蜀が一貫して正統として描かれているにもかかわらず、蜀の皇帝は彭越の生まれ変わりでしかない。つまり、他の三人と全く対等でしかない。何ら彼に正統として描かれる要素はないのである。また、劉備や諸葛亮が主人公で正統として描かれつつ非業の死を遂げるのはこの転生譚から行くと全く得心がいかないものである。
 『三国志平話』では『三国志演義』のような凝りに凝り固まった蜀漢正統論ではないかも知れないし、献帝に対してそこまで同情的でないかも知れないが、それまでの(特に宋代における)三国志の流布の仕方からすると得心がいかない。
 そもそも、『三国志平話』は講談のレジュメ集とも云える本であって小説としてのレベルは甚だ低いし、洗練されてもいない。要するに、『三国志平話』は三国志物語としてはまだまだ発展段階にあり、その一形態に過ぎないのである。ということは、この転生譚もその一形態における一つの方法として、三国志を説明しようとしているのではないか。
 つまり、『三国志平話』における転生譚は、物語としての完成度の低さを補うために補助的に付け加えられたものであるということである。物語としての完成度が低いが故に、何らかの形で物語全体の因果を規定したり、登場人物間の因果関係を規定したりしなければならなかったのだろう。
 この事を鑑みればなぜ『三国志演義』で転生譚が取り入れられていないのかが解る。

<第四章        『三国志演義』と転生譚>

 なぜ『三国志演義』において転生譚が採用されていないのであろうか。それを考える前に少し今までの考察を整理してみよう。
 転生譚の役割は何か?

1,物語全体の因果関係規律
2,場人物間の因果関係規律
3,登場人物個人の因果関係規律

 なぜ転生譚が必要なのか?

@     悲劇性を軽減させる(『説岳全伝』、『水滸伝』、『残唐五代史演義』)
A    不条理の説明(『説岳全伝』、『残唐五代史演義』)
B    未熟な物語性を補完する(『説岳全伝』、『三国志平話』)
C    虚構の物語の主題となっている(神魔小説一般)

 この事を逆に考えてみれば、まずはCから。『三国志演義』は転生譚を主題におく必要はない。『三国志演義』の主題は歴史であり、劉関張や諸葛亮の活躍である。また、物語として非常に成熟しており、わざわざ補完する必要がない。三国時代から『三国志演義』の成立まで千数百年、また『三国志平話』が成立してからも数百年はたっている。物語も巧緻で転生譚を使う必要がない。
 ここで問題になってくるのが@とAである三国志は悲劇であり、はっきり言って前半の活躍や持ち上げられ方からすると不条理ですらある。それなのになぜ転生譚が使われてないのだろうか。もちろん物語が成熟しているという先述の理由もあるだろう。しかし、そこには別の理由があるように思われる。それは、史実へのこだわりである。『三国志演義』は七実三虚と言われるように虚構と事実が巧みに織り交ぜられている。しかし、物語の大部分は史実によっているといって良いだろう。『説岳全伝』のように後半以降全く破天荒に話が進む事もないし、『三国志平話』の劉淵のような事もない。『三国志演義』においての虚構は主に蜀漢をいかに正統に、いかに素晴らしく書くか、ということであって史実を根本的に捩じ曲げたり、あまつさえ蜀漢が天下を統一してしまったりと言うことはない。ここに秘密があるようである。
 つまり他の作品では、史実を根本的にねじ曲げて物語を捏造している“にも”かかわらず、最終的に主人公や主要人物が死んでしまうことに対して転生譚を使って言い訳をしているのである。『説岳全伝』などでは後半はは岳家軍による義侠小説と化し、準主人公の牛皐が敵陣に乗り込み敵の大将である金の四太子を殺させている。一つには物語が未成熟であると云えるし、他方では史実を大幅にねじ曲げているのに岳飛の悲劇性はねじ曲げられることがない。これは物語の全身が岳飛への鎮魂譚だったからであるが、だからこそ転生譚による補完と言い訳が必要だったのではないだろうか。『三国志演義』においてこのようなことをする必要性は感じられない。
また、他の作品は、物語の捏造や『三国志演義』からの換骨奪胎によって作ったストーリーが未熟だったため、むしろ『三国志演義』では“ないからこそ”転生譚が必要になった、ということも云えるかも知れない。

<おわりに>

 転生譚を使わない、というこの手法は『三国志演義』を恐ろしくストイックな物語に仕立て上げた。悲劇や不条理に対する言い訳が何ら為されず、ただ蜀漢の滅亡そしてひいては三国の滅亡、という結果だけが読者に突きつけられるからである。しかしこの事は『三国志演義』の日本での普及に役立ったのではないかと思われる。なぜなら、日本人には良く理解できないだろう神仙の話がなく、ただ単に歴史物語が展開される方が異文化の人には解りやすいと思われるからである。また、悲劇性が強いのも日本人に受け入れられる要因になったのではないかとも思われる(だから日本では『水滸伝』の七十回本が訳されていない)。そもそも、転生譚を必要としないような完成度の高い作品であったからこそ日本や韓国などで広く受け入れられたのではないだろうか。
 この転生譚を見ることで『三国志演義』は確かに先行する『三国志平話』からは大きな進化を遂げたことが解ったし、他の作品群と比べて大きく性質を異にするということもおわかり頂けたのではないかと思う。そしてその大きな性質の違いこそが『三国志演義』の魅力なのである。

       

 三国志神仙伝  続く…

<参考文献一覧>

     『完訳 三国志』1〜8(岩波文庫、小川環樹ら訳)
    『西遊記』10(岩波文庫、中野美代子訳)
    『完訳 水滸伝』1,10(岩波文庫、吉川幸次郎ら訳)
    『岳飛伝』(世一文化事業股?有限公司、銭彩編著)
    『岳飛伝』(中央公論新社、田中芳樹編訳)
    『封神演義』1(コーエー)
    『三侠五義』上下(コーエー)
    『三国志平話』(コーエー、二階堂善弘・中川諭訳)
    『岳飛伝読本』(早大田中芳樹帝国、紺碧の空編著)
    「『残唐五代史演義』への道 ――小説と講史――」(氏岡眞士)
    「乾隆英雄伝奇小説『説唐』の主題」(千田大介)