三国志の歴史 〜劉備・関羽・張飛を例にとって〜

紺碧の空

<序章>

@正史と演義

 現在、中国や日本における代表的な中国歴史小説といえば『三国志演義』があげられます。両国の文化に三国志は深く根付いているのです。しかし、日本ではこれが『三国志』として流通しているために正史と混同されていることが少なくありません。『三国志演義』は正史を下敷きにしていますが、同一視できるものではありません。『三国志演義』はあくまでも物語なのです。そして、それは民衆の手で育て上げられてきた物語といえます。

A『三国志演義』について

 このレジュメでは物語としての『三国志』について説明してゆきたいと思います。現在巷間に流通している『三国志』物語といえば『三国志演義』です。まず、『三国志演義』の概観を見てみましょう。
 世界史の授業をとった人はご存じだと思いますが、『三国志演義』は元末明初の知識人である羅貫中が作成したとされています。しかし、これは半分正解ですが半分は間違った解釈です。確かに巷間に流布していた『三国志』物語を取捨選択して現在の形に近づけ、『三国志通俗演義』という物語を作ったのは羅貫中といわれています。しかし、羅貫中が作成したオリジナルの物語がそのまま受け継がれてきたわけではありません。数百年の時代を経る中で様々な人の手を加えられ、最終的に現在の形になったのは清代のことです。また、羅貫中という人物が実在したかどうか、というのも論争の的になっています。

B『三国志』物語の進化

 言うまでもなく陳寿による『三国志』は歴史的事実です。もちろん史料としても信憑性などは議論の余地があるところですが、『三国志』は中国二十四史の一つとされています。では、歴史としての『三国志』はどのようにして物語としての『三国志』に移り変わっていったのでしょうか。

 おそらく一番の原初は巷間に伝わる伝承や語り物の類だったものだと思われます。それが、次第に体系的に講談などにまとめられるようになり民間に膾炙していったものと思われます。政府の支持などもあって三国志人気が高まる中で、講談のレジュメが整理されて『三国志平話』のような三国志小説の原型のようなものができあがってゆきます。これらを羅貫中が一つにまとめて、清代に完成を見た、というのが妥当な線だと思います。

C戯曲

 三国志は物語として広まっただけではありません。三国志人気は宗教界や伝統芸能にも大きな影響を及ぼしました。関羽は現在の道教界で最も尊崇されている神の一人です。
また、京劇は清代に清朝政府のバックアップで成立した伝統芸能ですが、清朝は三国志人気を利用していましたし、京劇を好んだ西太后などは関羽が登場すると起立して敬礼したと言われています。三国志に関する演目は数多く存在します。

<第一章    張飛と劉備の関係>

@最初は張飛が主人公だった

 現在流通しているいわゆる『三国志演義』の主人公は言うまでもなく劉備そして諸葛亮です。そして、関羽、張飛といったところが脇を固め、それに相対する形で曹操、孫権が立ちはだかります。当然、主人公サイドたる蜀漢が善玉であり劉備、諸葛亮は人気者です。
 しかし、三国志物語が発展してきた当初からそうであったかというと、若干事情が異なるようです。水滸伝を読んだことがある人は解るかも知れませんが、水滸伝は宋江と李逵の主従が主人公格の扱いを受けています。その中でも特に人気者なのが李逵です。暴れん坊で、よく酒を飲んでは失敗する。そして既存の権力を嫌い次々とトラブルを起こす、という李逵の姿は張飛によく似ています。
 李逵と同じように、初期の三国志で人気者だったのは張飛でした。民衆は、張飛や李逵が権力に反抗して大暴れするのを見て大いに喜んだのです。『三国志平話』などを見ますと、張飛の描写が実に生き生きしています。少々破天荒すぎる嫌いもありますが、民衆としては張飛が暴れれば大喝采、張飛が失敗すると大笑い、という感じだったのでしょう。

A劉備が次第に主人公に

 民衆の人気者だった張飛ですが、『三国志演義』が知識人のあいだに広まってゆくにつれ、その粗暴さが厭われるところとなりました。むしろ、知識人は高潔な劉備の方を支持するようになったのです。また、宋代に唱えられた蜀漢正統論も主人公が張飛から劉備・諸葛亮へ移行するきっかけになったのではないかと思われます。また、明代には『三国志演義』が宮中でも宦官の教育などに使われるようになったため、儒教的な考え方による影響もあったのではないかと思われます。
 これによって、張飛は物語の上で主人公から準主人公へと降格してしまいます。もちろん、張飛が民衆の人気者であることには変わりなく、京劇の演目などでは張飛が主人公のものもあります。

<第二章    関羽の不思議>

@世界で一番幅広く信仰されているのは関羽?

 世界三大宗教と呼ばれる宗教があります。則ち仏教、イスラーム、キリスト教の三教です。この中でイスラームとキリスト教、そして三大宗教ではありませんがユダヤ教は同じ旧約聖書に端を発する一神教です。当然、数からいえばこのセム・ハム系一神教の唯一神を信仰する人が最も多いものと思われます。
 しかし、世界の最も多くの地域で信仰されている、ということからいえば関羽も引けをとりません。世界中には華僑と呼ばれる中国人移住者が存在します。それら華僑の信仰の対象となっているのが関羽であり、中国・台湾で最も盛んに信仰されている神の一人が関羽です。関羽は死後神格化を重ね、現在では関聖大帝として道教の重要な神様となっているのです。

A主要登場人物はみんな神様

 そもそも、三国志にでてくる主要な登場人物は程度の差はあれども、みんな民間信仰の中で信仰の対象になっていると思われます。道教の諸神の位を表した『眞靈位業圖』などには劉備などの名前もあるようですし、地方地方に行けばその地方にちなんだ人物の祠廟などがある(あった)ようです。
 民間信仰と道教というのはある意味で一体不可分であり、相互に深く関わっています。民間信仰から道教の神になったり、道教神だったのが民間信仰で更に違う神格を与えられて信仰の対象になったりします。関羽は前者の例と云えるでしょう。
 道教は中国固有の宗教ですが、日本ではあまり知られていません。儒教が思考様式や倫理観、仏教が生死感や生活様式に影響を与えてきたとしたら道教をそれらの間隙を埋めてきたと云えるでしょう。道教は仏教の神や、儒教に影響を与えた人物までも己の神として取り入れています。そういった意味で、道教は非常にフレキシブルな一面よく分かりにくい一面も持っています。
 理論構成がしっかりしているようでありながら、実際のところはかなりいい加減であったりしますし、神様の神格もよくごちゃごちゃにされます。また、民衆の思いこみなどによっても非常に影響を受けることもあります。また、時の政府に恣意的に利用されてきたこともあります。関羽などは民衆の人気と政府の思惑によって神格化されたものがいつのまにか発展して現在の姿になった、という面があります。
 このように民衆と深く関係のある道教と民間信仰ですが、当然民衆の人気者は民間信仰に取り入れられます。呉の甘寧は民衆から高い評価を受けていましたが、死後神格化され、現在では市民が寄付したお金でつくられた公園に祀られています。

 B関帝

 話を関帝に戻しましょう。関羽は死後、祟り神のような存在で祀られていましたが、次第にその性格が変貌してゆきます。当然関羽は三国時代を代表する武将でしたから軍神としての性格がありました。趙公明らとともに四元帥として祀られていましたが、次第にその筆頭とされるようになり、いつの間にか独立して、更に高位の神になります。その過程で財神の性格を帯びるようになり、現在ではもっぱら商人の神として崇められています。これについてはいくつか原因があると考えられていますがここであまり深入りはしません。
 また、軍神・財神としての性格だけでなく、文神として崇められる時もあるようです(最も文の神には文昌帝君という有名な神もいますが)。そのほかにも横浜の関帝廟に行けば解りますが、本当に何にでも御利益のある神様だと思われています。

C関羽信仰の伝播

 なぜ、関羽はここまで信仰されるようになったのでしょうか。もちろんこれには様々な理由があり、一概には云えません。しかし、やはり三国志物語の浸透、というのが根底にあると思います。三国志物語が民衆に膾炙し、それを時の政府が利用したのではないかな、という節があります。
 関羽の神格化が盛んになされたのは南宋以降です。南宋は、北方異民族に圧迫を受けていたため、蜀漢を自分たちと同列と見なし、これを正統としました。そこで、三国の英雄で既に神格化されていた関羽を更に指示することで民衆の支持を受けようとしたのではないかと思われます。また、清代には少ない満州人がうまく漢民族を統治するために関羽、という漢民族の英雄を支持することで民衆の支持を得ようとしたと思われます。
 また、関羽の神格化が進むにつれ、関羽に関する様々な伝承が付加されてゆきます。その中でも特筆すべきは『花関索伝』と呼ばれる物語です。これは関羽の息子である関索の物語ですが、全く史実から離れた破天荒な物語ですが、こういうものが盛んに流布されていたということ自体が関羽の人気を示すものではないでしょうか。

<第三章    現代へ>

@三国志物語の今

 『三国志演義』の成立から数百年。現在における三国志物語は一体どうなっているのでしょうか。今を取り巻く樣子を見回してみますと、原典の小説はもちろん、色々な人の手によるリライト、漫画、映像、ゲームなど巷に三国志があふれています。これらは、現代の人の手を経ながら更に進化をし、更に広まってゆく三国志物語です。
 一方で、伝統芸能、特に京劇も盛んです。最近では日本でもよく見られるようになりましたし、中国ではもっと盛んです。

A三国志信仰の今

 三国志に限らず、歴史に名を残した人物は死後神格化されることが多い中国ですが、文化大革命を経てその様は大きく変わったようです。共産主義の名のもとに、諸宗教や民間信仰が打撃を受けました。壊された祠廟も数多くあります。しかし、民衆の心の中まではうち砕けなかったようで、民間信仰や道教は根強く民衆に根付いています。

B三国志文化の今

 三国志は民衆に深く根付いているとともに、民衆こそが三国志を育ててゆく土台でもあります。張飛から劉備へ、そして関羽信仰の発展を経ていまは曹操が復権しようとしています。その時代のニーズや状況に合わせて三国志を取り巻く状況も変わっていきます。
 また、最近では三国志における日本の影響も多いようです。例えばコーエーのゲームが逆輸入で中国に入ったり、学術交流なども行われたりしているようです。

<第四章    三国志を楽しもう>

@様々な書物

 ちまたには三国志関係の書物があふれています。入門書的なものから学術書まで、オリジナルの小説やリライトの小説もありますし、ビジネスマン用に書かれた三国志本もあります。そして、横山光輝などに代表されるように、漫画家もされています。

A様々な映像

 活字だけではなく、三国志は映像化もされています。中国のドラマ、NHKの人形劇、そしてアニメと三国志は映像面でも楽しめます。

B様々なメディア

 本の中には三国志とは関係ないのに“三国志”とついている本もあります。「政党三国志」とか「空手三国志」とかです。これはなぜでしょうか。やはり三国志の抜群の知名度を利用しているのでしょう。三国志とつければ本が売れる、という話を聞いたことがあります。テレビの歴史物でも三国志特集は視聴率がとれるらしいです。
 そして、現在の三国志ブームを作っているのは何といってもコーエーのゲームです。問題もありますが(むしろ最近は問題の方が多い気もする)、三国志を大いに広めたという点からすればものすごい貢献度だと思います。今後はその影響力の大きさを考慮に入れてより一層良い商品を開発して貰いたいと思います。
 そして、『三国志』の発展に今後欠かせなくなってくるのはインターネットでしょう。まだまだマイナージャンルの三国志ですが、ネットにつなげば大勢の仲間がいます。いろんな人との交流が新たな潮流を起こすこともあるでしょう。また、電子テキストなどを使えば原典にも簡単に当たれますし、本を使うよりも容易に学問ができるのではないでしょうか。

C同人

 自ら積極的に三国志に関する創作に関わることも、三国志を楽しむ方法だと思います。