蒼天航路を斬る!!

           第一文学部中国文学専修3年 大豪院邪鬼

始めに:
 皆さんは蒼天航路というマンガを知っていますか?これは、「ネオ三国志」と大々的に広告されて打ち出された、新手の三国志マンガです。斬新な解釈が評判を呼び、この作品が好きな三国志ファンは少なくありません。
ところが、このマンガを評価する際、ほとんどの人が三国志としての評価に留まっており、作品そのものについて触れることは少ないです。
果たしてこのマンガは、三国志であることを抜きにしたらどうなのでしょうか?良作と言えるのでしょうか?

1:蒼天航路とは?
       一部に絶大な支持を得ている人気三国志漫画

2:蒼天航路の特色
       トリックスター曹操
   ・    超越者たちの活躍
       青年誌であるが故のエログロ描写

3:蒼天航路の基本スタイル
       何かある度に、曹操、孫権、劉備が周りを圧倒する
       他の登場人物は、メインキャラを輝かせるための存在

4:蒼天航路のストーリー
       曹操の幼少期〜官吏時代(1〜2巻)
       太平道の乱、董卓の乱を経て、曹操の声望が高まる(3〜7巻)
       曹操の勢力拡大(8〜12巻)
       袁紹との大決戦(13〜16巻)
       孔明の妖行、曹操の活躍:文学活動、北方平定(17巻〜18巻)
       劉備逃避行。そして天下三分宣言(19巻〜21巻)
       赤壁の戦い(22巻〜24巻)

5:蒼天航路が好まれる理由
       他を圧倒する爽快感
       裏に潜むメッセージ性
       サブキャラクターたちの持つ強烈な個性

6:蒼天航路の問題点
       エログロ表現
       曹操の絶対化(これは↓の問題と密接に絡んでいる)
       曹操というキャラクターの不愉快さ
       戦争という殺戮行為への、抽象的な思想、理想の導入
       孔明に対する作者の扱いの変化

7:蒼天航路のたどった末路
       孔明の変身(それまでギリギリで保たれていた現実感が崩壊)
       孔明の敗北(この時点で、曹操に勝るものはいなくなった)
       以上により、蒼天航路は駄作へと落ちる危険性が出来た

8:蒼天航路の作者たち
       李學仁(イ・ハギン)という人
       王欣太(キング・ゴンタ)という人
       蒼天航路と、同じ欣太の作品『地獄の家』比較

9:面白い作品とは何か
       読者の感情移入ポイントが巧み
       時代考証・文化考証の狂いを押し切れる、力あるストーリー
       あらゆる読者のニーズに対応=作者の好みを押し付けない

10:蒼天航路を斬る!!
       蒼天航路は、16巻までを一区切りとして読んだ方がいい
       娯楽としては合格点だが……
       ここで改めて、三国志作品として見てみると……

結論:蒼天航路に見る、三国志作品のあり方
       李學仁が蒼天航路を書こうと思った理由――その結果

参考資料 「蒼天航路」1〜24巻・「地獄の家」上・下巻(講談社)  

蒼天航路を斬る!!

           第一文学部中国文学専修3年 大豪院邪鬼

1:蒼天航路とは?

 『蒼天航路』とは、現在も「週間モーニング」誌上で連載されている三国志マンガのことである。その独特のタッチの絵、常識を打ち破る登場人物たち、派手なストーリー……その一クセも二クセもある内容が反響を呼び、一部の三国志ファンが好んで読んでいる。

2:蒼天航路の特色

 蒼天航路の特色として挙げられるのが、まずトリックスターを主人公としていることである。
 トリックスターとは、詐欺師、ペテン師を意味する言葉である。神話研究において、この言葉は少年英雄や善悪定からぬ存在に使われることが多い。オセアニアの英雄神オリファトや、北欧神話の魔術神ロキなどがいい例だ。中国古典では、孫悟空が挙げられるだろう。
 こういった場合のトリックスターは、言葉や暴力を使って周囲を掻き回し、時には実に爽快な活躍をする存在である。この微妙な立場が話を面白いものにするため、完全無欠な善ではないものの、現代まで好んで使われているキャラクター設定の一つだ。
蒼天航路の主人公曹操は、言葉を使って人を圧倒し、時には猛勇を振るって敵と戦う。その姿はまさに昔ながらのトリックスター・ヒーローであり、これこそがこのマンガの人気の秘密である。
 また、登場する武将は、ほとんどが一度に何十人もの兵士をなぎ倒す超人たちである。そんな彼らが繰り広げる派手なアクションもまた、このマンガの見所である。
 そして極めつけは、青年誌だからこそ可能な、過激なエログロ描写だ。ほとんどの巻に男女の性行為、臓物を撒き散らす死体が描かれており、抑えのないこれらの表現が、この作品に独特のタッチを与えている。

3:蒼天航路の基本スタイル

 蒼天航路にはお決まりのパターンがある。それは、曹操(魏)、孫権(呉)劉備(蜀)といった三人のメインキャラたちが、何かハプニングが起こるたびに、豪快に言い切り、時には理屈を説いて、周囲の人間を圧倒するというものである。
この場合、周囲の人間は2タイプに分けられる。一つは、曹操や孫権といったメインキャラたちが何を言っているのか理解できないタイプ。もう一つは、しっかり理解しているタイプである。
そういった周囲の人間――サブキャラもまた、時として他のサブキャラ相手に「言葉による制圧」を行う。例えば、曹操の参謀荀ケ、曹操のライバル袁紹などが挙げられる。彼らはメインキャラが登場しない場で、物語を盛り上げるために負けず劣らず大活躍をするのである。
それでも結局、サブキャラたちはメインキャラのパワーの前にひれ伏してしまうことを忘れないでもらいたい。このマンガではメインの三人は絶対的な存在なのだ。 

4:蒼天航路のストーリー

 蒼天航路のストーリーは、曹操を主軸に話が進んでいく。だから、始まりは曹操の少年時代からだ。
 まず1巻から2までは、曹操の青少年時代の活躍、そして役人となって悪政・悪弊と戦うところを描き、トリックスター曹操の魅力を否応なしに見せつけている
 3巻から7巻までは、腐敗した漢帝国に民衆が蜂起、鎮圧されるも、今度は帝都を魔王董卓が乗っ取り――最終的に董卓が謀殺されるまでを描いている。この太平道の乱(民衆反乱)と董卓の乱において、弱小勢力でありながら奮闘する曹操の姿を見ることができる。また、劉備や孫堅(孫権の父)といった残りのメインキャラも一連の戦いで姿を見せている。ここでは主に、曹操の驚くべき能力、漢帝国の崩壊、メインキャラ三人の数奇な出会いが重点的に描かれている。
 8巻から12までは、曹操が皇帝を自分の庇護下に置き、勢力拡大していく様が描かれている。ここでは曹操が味わう初めての大敗戦や、最強の戦士呂布の最後、皇帝による曹操暗殺令、一方で孫策(孫権の兄)の南方における勢力拡大や雌伏する劉備の悲哀など、数々のドラマがあり、物語・世界観・曹操自身に深みを与えている
 13巻から16までは、すっかり大勢力となった曹操と、それをさらに凌ぐ大勢力、袁紹一族の大決戦が描かれている。これまでのストーリーの総結集とも言えるパートであり、名家である袁紹の敗北がそのまま時代の転換点、蒼天航路の転換点となっている。各陣営ともに全力で戦いあい、派手な戦闘シーンが次々と展開される。特に注目すべき点は、兵士たちの生き様まで描ききったポイント。これまでの三国志作品では見られなかった描写であり、それ故に戦いの壮絶さが増している。一方で、落ちぶれていく劉備、志半ばにして死んでいく孫策の姿なども描かれ、曹操が中原の覇者となった事実をさらに強調している。劉備が逃走し、袁紹や孫策が死んだことで、曹操に勝てるものはいなくなったかのように見えるが……。
 17巻から18はこれまでの展開と異なり、少々異色である。まず、誌上では連載再開後一回目の話であるのに、主人公の曹操を脇に、劉備をメインにしている。他人の領地で雌伏の時を過ごす劉備が、曹操をも上回ると目される妖人、諸葛亮孔明を配下に迎え入れる話が17巻の主軸。17巻の最後から18巻の前半まで曹操一族について描いており、特に18巻では曹操の文学者としての姿を見ることができる。18巻の後半は、曹操の参謀郭嘉と将軍張遼の大活躍が描かれ、能力が成熟した曹操に続いて配下が成長していく様を描写している。
 19巻から21までは、いよいよ南方平定に乗り出す曹操と、それに対抗するため軍事基地へと逃れる劉備の対決を描く。ここで、曹操の口から「劉備は最大の敵である」という言葉が出る。その劉備は諸葛亮によって精神崩壊を起こされるが、本気で天下国家を考えるために必要な心構えを悟り、天下を揺るがすほど斬新な戦略――天下三分を宣言する。このパートでは、劉備の逃走に加わる数十万の民衆、たった一騎で曹操軍数万を震え上がらせる張飛・趙雲といった劉備軍の武将などを描くことで、曹操最大のライバル劉備の恐ろしさが強調されている
 22巻から24では、孫権を始めとする孫呉政権vs曹操軍団の激闘が多く描かれている。劉備と盟を結んで曹操に対抗するかどうか、主戦論と降伏論に別れていた孫呉の将たちであったが、孫権の投げかけた言葉によって全員が会戦の決意を固める。一方、長江に達したことですでに今回の目標は果たしたとし、長江を下って海に出て、都に戻るという壮大な計画を立てた曹操。その計画の途中で、孫権軍の奇襲に遭って曹操軍は大打撃、曹操自身も瀕死の状態となってしまい、村に潜むことになる。曹操不在のまま進められる孫権軍と曹操軍の謀略戦、小戦闘。そんな中、瀕死の曹操に諸葛亮は近付き、自分の色に曹操を汚してしまおうと精神に語りかけるが、復活した曹操によって逆に諸葛亮の心が汚されてしまう。怒りに震える諸葛亮は、孫権軍の計略が進行する中、妖術を起こして曹操陣営を炎と暴風で包み込んでしまう。それでも、「まだまだ一敗」と涼しい顔をしている曹操。諸葛亮は巨大化して曹操に襲いかかろうとするが、曹操の、「くどい」という一言で張り詰めていた精神が崩壊。曹操の勝利で、この勝負は決着がついた

5:蒼天航路が好まれる理由

 さて、以上が蒼天航路のストーリーである。
 とりあえず、ストーリーに関する話は次の項目「蒼天航路の問題点」に回し、なぜこの蒼天航路が好まれるのか、三国志作品であることを抜きにして考察したいと思う。
先にも述べたが、曹操はトリックスター・ヒーローである。普通の人間とは違ったことをし、強敵たちをやり込める。これこそが蒼天航路の人気を上げた要素に他ならない。
そのトリックスター・曹操の行動原理であるが、実は読者を含む一般人とそんなに変わらない。愛する人を奪われたから……旧体制を嫌ったから……読者の場合、それが訴訟やデモといった行動へと移り、曹操の場合、相手の家で大暴れ、名門一族を配下に至るまで皆殺しといった行動に移るのである。行動に共感できるかできないかはこの際問題ではなく、読者と同じ思考回路を持つ曹操が、読者には真似できない活躍をするのが重要なのである。同じ人間である曹操が、読者の代わりに暴れる。これこそが蒼天航路の魅力に他ならない。
また、16巻までのストーリーの合間に隠されたメッセージ性も見逃せない。それは、劉備が名もない老人に放った、「おいらの命が天下に鳴り響いても、おいらの命は名のないあんたの命と同じだ――ッ」というセリフにも見られるように、名もなき民衆・兵士こそが国の基本だ、ということである。これに関しては袁紹との決戦を取り上げれば、より深く掘り下げることができるが、その話一つでレジュメができてしまうので省略させてもらう。ともあれ、この隠されたメッセージが物語に言いようのない深みと感動を与え、読者を惹きつけてやまないのである。
蛇足であるが、サブキャラクターの魅力、も要素の一つとして付け加えておこう。理由はトリックスター・曹操と似たようなものなので、やはり省略する。

6:蒼天航路の問題点

 ここまでは、蒼天航路がなぜ好まれているのか考察した。三国志作品であることを抜きにしても、単純な娯楽として合格点ではある。
 ところが、蒼天航路にはいくつか問題点がある。それが、このマンガを横山光輝の三国志ほどメジャーな存在へと昇華させない原因となっているのである。順を追って挙げていってみよう。
   @    エログロ表現
 これが人を選んでいることは、言うまでもない。まず、子供は読めない(読ませてもらえない)。子供でなくても、残虐表現が駄目な人は読めない。結果として、多くの人間がこのマンガを読めないことになる。特に、しょっぱなから曹操が残酷な殺人行為をしているのだ。ここでまず何人か脱落する。
   A    曹操の絶対化
 次に、曹操そのものが問題となってくる。トリックスター・曹操の活躍を愉快痛快と考える人だけで読者が構成されているなら、曹操がどこまでも強くたって構わない。だが、実際はこんな曹操を嫌って、間抜けで憎めない兄キ劉備を応援する人だっている。そんな人たちにとって、曹操がいつも精神的に優位にたっているのは気に食わない事態である。劉備陣営や孫権陣営は曹操を恐れても、曹操が彼らに負けて心の底から狼狽したことはない。ここで、腹が立って読まなくなる人が出てくることだろう。
   B    曹操というキャラクターの不愉快さ
 これはAと関連のある項目だが、曹操はいつも何かを悟ったかのように演説している。語り方の特徴として、【「だ」「である」のような言い切り型】【自分の考えが一番正しいと信じている】が挙げられる。つまり、「自分は全て解っている」というような態度であり、いささか傲慢であると言えなくもない。その上、敗者を処刑するかしないかは彼自身の美的感覚によって決まる。曹操が醜いと感じたら、その時点で相手の勢力は皆殺し確定である(袁紹一家のように)。この尊大な態度は、見る人を不愉快にさせるものがある。それなのに、Aで述べたように曹操が絶対視されているのだ。ここまでくると、うんざりして読まなくなる人間がさらに増えるはずだ。
   C    戦争という殺戮行為への、抽象的な思想、理想の導入
 蒼天航路を嫌っている人間の中には、徐州大虐殺が原因という人も中にはいるだろう。父親を山賊に殺されたという理由で、徐州に攻め込もうという曹操。「曹操はなにゆえ曹操であるか!曹操孟徳は天下のものである!」と大声で叫んだあとに、徐州進行の理由を語る。「殿にとって(中略)天下への道を妨げる石くれに過ぎないのか」と感動する参謀、荀ケ。
 ここは、まともな人間なら理解に苦しむ場面である。天下統一のために、どうして罪もない民まで殺さなければならなかったのか。コマの端には、泣きながら青州兵に殺されている哀れな母親と子供の姿が見える。ほとんどの人が残酷だと感じるこの戦争を、抽象的な理由で正当化することは、いくら曹操が弱小勢力だから戦略上青州兵の力を誇示したかったとは言え、納得できないことである。このため、多くの読者を引き離すことになる。まさに陳宮がこの時言ったセリフ、「この人にはもう付いてゆけぬ」の心境である。
   D    孔明に対する作者の扱いの変化
 曹操は16巻で袁紹を破ったことにより、名実共に大陸一の勢力へとのし上がった。これでは、この後のストーリーが単調になりかねない。だから曹操を脇にして、新しい主人公を打ち出す必要があった。諸葛亮(孔明)は最初、最強の曹操に対抗できる主人公的存在として登場した。曹操をも上回るトリックスターぶりは、「あるいはこいつなら曹操を倒せるかもしれない」と読者を思わせるに十分なものだった。事実、「俺のすべてを奪える人間とは、俺以上に心の闇を持ち、俺を惹きつけてやまぬ人間だ」(曹操)「こいつを見てるとなぜか曹操が馬鹿みてえに思えてくる」(劉備)といった作中人物のセリフを見る限り、諸葛亮は曹操を倒す役割を与えられていたと推測できる。
 ところが、いつの間にか諸葛亮は主人公曹操のライバルキャラとなってしまっていた。そして最終的に曹操の一言一言にかき回され、崩壊を起こして敗れ去った。この諸葛亮の使い方は実に中途半端で、稚拙である。これは、アンチ曹操読者の胸を期待で膨らませながら、最後の最後で裏切ったのだと言える。こうして、アンチ蒼天航路曹操の読者を完全に切り捨てることとなったのである。

7:蒼天航路のたどった末路

 さて、諸葛亮と曹操が対決するシーンを見てみよう。なぜなら、この場面こそが、蒼天航路の行く末を表す重要なシーンと言えるからである。
 まず、諸葛亮が巨大化している。これは、それまでギリギリのラインで保たれていた現実性が崩壊したことを意味する。諸葛亮登場前も、吐いた血が三匹の龍に変わったり、自殺した老人たちが空中に飛んで破裂したりと不思議なことはいくらでも起きていた。それでも、何となく流せる範囲の表現だったが、諸葛亮の場合は明らかに(不自然に)巨大化している。それだけでなく、諸葛亮は曹操と一体化したり、童子に「我々は寓話の世界の生き物に等しい」と言われたりしている。
 また、諸葛亮が敗北したことによって、劉備、孫権を除いて曹操に勝てるものはいなくなってしまった(しかも、劉備は何度も曹操に、器の面でも負けている)。これでアンチ曹操は肩を落とすことだろう。そして、蒼天航路が単純に好きな人にとっても、袁紹、諸葛亮といったライバル――倒すべき目標が消えてしまい、張り合いがなくなってしまった。
 これにより、蒼天航路において辛うじて保たれていた秩序のバランスが崩壊し、ただダラダラとストーリーが続くだけの堕落したマンガ――への危険性が残されてしまったのである。
 あとは、劉備や孫権がどこまで凄い存在として描かれるかによるのだが。

8:蒼天航路の作者たち

 ところで、蒼天航路は17巻以降、すなわち袁紹との戦いを区切りとして、大きく物語のタッチが変わっている。あえて言うならば、17巻以降の諸葛亮を敵とする一連の流れは、先に述べた諸葛亮の役割が曖昧なことなどから、やや中途半端な感が拭えない。いっそのこと諸葛亮を主役にして、曹操をこっぴどく痛めつければ、何となく統一感は取れたのではないかと思うのだが……。
 これには理由があると思われる。原作者である李學仁(イ・ハギン)が、袁紹との戦いがまだ終わっていない頃に亡くなってしまったのだ。これにより現在は王欣太(キング・ゴンタ)一人で構想を練って、執筆を続けているものと思われるが――私が推測するには、恐らく16巻までのストーリーはすでに李學仁が書いていたのだろう。その後17巻以降のストーリーは、李學仁のエッセンスを思い出しながら王欣太が書いているものと思われる。その証拠に、袁紹との決戦が終わった後、二ヶ月近くもの間蒼天航路は休載されていた。王欣太が旅行にでも出かけたのか、なんなのか、その後も一ヶ月に一回ぐらいの割合で休載するのは、王欣太では李學仁のようなストーリーが書けないからではないだろうか。それ故に、統一が取れてないのだと思われる。
 李學仁は在日韓国人二世で、日活などで助監督を務め、75年に「異邦人の河」で監督デビューした人であり、本質はかなり真面目である。
 一方、王欣太は普通の漫画家である。その作品は、セックスとバイオレンスに満ち満ちており、普通の人間を超越した主人公が活躍するものだ。
 民の大切さを主軸に展開される、旧体制打倒の戦い(16巻まで)。
 大陸の覇王と桃源郷の妖人が繰り広げる幻想的な戦い(17巻まで)。
 16巻までと、17巻以降。この二つの違いは、そのまま原作者の特徴が現れたものではないだろうか。
 試しに王欣太の書いた『地獄の家』を読んでみると、17巻以降の「思想も何もない、ハッタリで生きる曹操」とよく似ている人物が出てくる。『地獄の家』の主人公、北晴郎である。これに関しては、自分の目で現物を確かめて、よく見比べてもらいたい。17巻以降の曹操はやけに無邪気だが、北もまた無邪気にトリックスターぶりを発揮している。
 やはり17巻以降の蒼天航路に統一感がないのは、王欣太が試行錯誤しながら書いているためであろう。なるべく自身の色を抑えながら、李學仁のカラーに近づけようと努力しているのに違いない。

9:面白い作品とは何か

 さて、面白い作品の定義とはなんであろうか。
 まず、読者が感情移入できなければならない。その上で、感情移入できるポイントが巧みかどうかで作品の面白さは変わってくる。この蒼天航路の場合、最初の頃の動機が解りやすい曹操ならともかく、3巻以降の曹操になってくるとあまり読者が感情移入できなくなってくる。何を考えて行動しているのか、国のために戦っているのか自分のために戦っているのかよく解らないからだ。
 その代わり、3巻以降からは多くの登場人物が現れる。特に劉備は普通の人間が共感しやすいキャラクターのため、多くの人間が感情移入の対象を彼へと転換することだろう。この人物登場のタイミングは、偶然であろうが実に見事である。
 また、時代考証や文化考証を押し切れるストーリーテリングも重要である。蒼天航路は、千一夜物語の話が出てくるなど時代考証がなっていないが、そんなことは些細であると言えるほどストーリーにパワーがある。
 他に必要と思われるのは、あらゆる読者のニーズに対応した設定だと思うが……これに関しては問題があるだろう。この作品はあくまでも曹操中心であり、それ以外の人物は必ず一度は曹操の足元にひれ伏す形となっている。この作品は、曹操が嫌いになったら最後、柔軟性のなさが仇となってしまうのである。

10:蒼天航路を斬る!!

蒼天航路は、16巻までが一区切りと言える。その後はやや曖昧なつくりとなっている。娯楽作品としては上出来なのだが、全体を通して読むと何となく違和感が残る。今や王欣太は、金や名声のためでなく、他人を楽しませるためでもなく、自己満足のためでもなく、ただ仕事だから書いている状態なのだろう。だからこそ、ストーリーが曖昧で薄いものになり、何を言いたいのか解らないものになっているに違いない。
 とにかく、彼自身も気が付いて、苦悩しているに違いない。このマンガの冒頭に書いてあるが、このマンガは曹操から「悪」のイメージを取り払って英雄にしようというものである。だからこそ、曹操ばかり立たせると読者がいなくなってしまうと解っていながら、曹操を貶めることはできないのだ。ここまで来ると、そろそろこのマンガも限界が見えてきたようだ。
 また、このマンガを改めて三国志作品として見てみると、あまりにも劉備陣営や孫権陣営の扱いが適当である。これでは三国志ファンの多くが納得すまい。この点でも、このマンガはかなり苦しい立場にあるようだ。

結論:蒼天航路の未来は……

 李學仁氏が蒼天航路を書いたのには理由があった。それは、曹操の評価を「悪」から「英雄」に変えたいというものであった。その際彼は、「吉川英治や横山光輝の作品は、三国志の真実から人々を遠ざけている」と言った。こうして彼は、曹操を主人公としたストーリーを創ったのである。
  ところが、どうだろう。実際には吉川英治や横山光輝の人気を抜けず、ただの自己満足で完結してしまっている。それどころか、へたに曹操を盛り立てようとしたために、現在の蒼天航路はジレンマに陥っている。
 果たして、これからジレンマを脱出できるのか。難しいところだ。

参考資料

「蒼天航路」124巻(王欣太:画 李學仁:原作 モーニングKC