三国志研究会レジュメ
2002.6.18

匈奴より馬銜をこめて

玄鳳

三国志にも登場する匈奴という遊牧騎馬民族は、農耕社会の漢族王朝に大きく影響を与えてきたはずである。しかるに、彼らについての知識があまりに少ない。そこで今回は北方の匈奴民族の実態について調べることにした。同時に、匈奴との関わりから三国志の世界を見ていきたい。

1.   匈奴概説
遊牧狩猟民族、家畜の飼育と狩猟で生計を立てる
<経済>
第一の財産は家畜(馬・牛・羊)→食用・乳製品・皮革製品
自給不能な物資(金属・絹等)は多民族と交易で獲得
交易にも家畜・皮革製品を使うため、家畜に大きく依存
        →家畜の補充が課題、また交易商品として奴隷を使用
     →冷害や旱魃に極端に弱い、生産力に乏しく不安定
<行政・軍事>
最高君主――単于(ぜんう):世襲制
軍事機関がすなわち行政機関であり、分割統治制を敷いていた。
  軍事行動(←狩猟)が生活の基本にあった
戦闘は軽装騎兵で、卓越した騎馬技術を有していた。
また、多くの軍馬を率いて乗換えを行い、疲労を軽減させた。
強力な騎馬軍隊(長城の建設)

2.匈奴の歴史
318年(戦国時代中期) 韓・魏・趙・燕・斉の五ヶ国連合が秦を攻撃
                   匈奴が連合に呼応、敗退
                   初めて中国史料に匈奴の名が現れる(『史記』秦本紀)
3世紀後期 頭曼が諸部族を統合し、中国全土を統一した秦と対立
          頭曼の子・冒頓が北アジアで領土を拡大
          漢の高祖を破り、漢と兄弟の盟約を結ぶ(全盛期)
2世紀後期 武帝のときに漢との関係悪化、中原への侵攻
1世紀中期 後継者争いによる東西分裂闘争、東匈奴の呼韓邪が漢へ帰順
1世紀前期  新を建国した王莽の強硬政策に反発、勢力拡大
          内紛により南北に分裂、南匈奴が後漢に入朝(以後衰退)

3.   漢王朝との関係

匈奴にとって、漢は物資・奴隷の重要な補給源
漢にとって、強力な騎馬軍隊をもった匈奴は厄介な存在

匈奴と漢王朝の関係は以下の四段階で説明できる。
    敵国:匈奴全盛期、漢と対等な立場
    外客臣:独自の政治勢力として自立性を持ちつつ、目下の同盟者
    外臣:自治を保障されたまま、漢の皇帝の家臣となる
    内属:自治は許されるが、漢の臣下として監視監督を受ける
高祖・劉邦の時代、匈奴は漢と対等むしろ優勢な立場であった。漢は匈奴と盟約を結び、貢納物を贈っていた。一方、武帝は匈奴に対して強硬姿勢をとり、軍事力によって屈服させようとした。しかし、これは失敗に終わり国力を疲弊させるだけであった。その後、匈奴は内部分裂などにより漢に帰順し、漢は匈奴に贈賜品を与えた。

匈奴は時代が下るにつれ勢力が衰え、漢への服属を深めていく。漢は寛大な政策を取り、中華秩序への取り込みを図る。これにより皇帝の権威を示そうとした。(ただし、掠奪・反乱に対しては厳しい姿勢で臨んだ)また、強力な騎兵を敵に回すのではなく傭兵部隊として利用した。
両者の利害は一致しており、単に対立しあう民族ではない
さらに言うと、匈奴は漢民族の農耕社会に寄生していたのである。

4.後漢末・三国時代における匈奴
後継者争いから匈奴は南北に分裂し、南匈奴が漢に服属した
後漢:単于を傀儡として南匈奴を間接支配
         
魏:南匈奴を五部に分け、匈奴の貴人に支配を委ねながら漢人に監視させた

霊帝の詔に応じて反乱鎮圧に出兵した羌渠単于は、民衆により攻殺される。子の右賢王於扶羅が単于にたったが、これを認めぬ者達は須卜骨都侯を単于に立てた。須卜骨都侯はすぐに死亡したが、於扶羅の単于即位は認められず老王が国事を代行した。ここで匈奴の単于政治は終結した。その後は、於扶羅の後を継いだ呼厨泉が曹操に降服した。曹操は匈奴を五部に分けて支配し、匈奴の独立性は完全に失われる。
魏王朝は匈奴の騎兵を傭兵部隊として利用。
後年、匈奴の劉淵は西晋の八王の乱に乗じて「漢」を建国した。これは遊牧民族の建てた中国化された国家であった。

5.考察
三国時代において、南匈奴は独立性を喪失し魏王朝の属国と化している。史料が少ないため当時の匈奴の動向は定かでないが、多少の反乱・掠奪があったとしても、魏と匈奴の間に大きな戦いは無いものと考えられる。三国時代、匈奴は魏の敵対者ではなく、支配対象なのである。三国時代以前、中華の乱世の度に匈奴は力を増長させ漢族にとっての脅威となっていた。(←戦国・楚漢・新)ところが、後漢末・三国時代では多少の略奪行為は働いているものの簡単に曹操に屈している。傭兵として使われた事から、騎兵としての戦闘能力の高さは相変わらずのようだが、勢力は他の乱世とは著しく違う。匈奴はもともと経済的に漢族国家に寄生しなければならなかったが、政治的にも魏に寄りかかる事になった。裏返せば、魏には曲りなりにも匈奴を支配できるほどの国力があったということなのである。

参考文献
匈奴―古代遊牧国家の興亡 沢田 勲 東方書店
匈奴「帝国」 加藤 謙一 第一書房
匈奴史研究  内田 吟風 創元社

サークル員の批判

反省
匈奴というあまりにも壮大なテーマを設定してしまったがために、三国志に関連した結論に結び付けようとして結論に無理が生じた。また考察不足がよく目立つ。本当は匈奴以外の異民族や、三国志以後の歴史についても調べた上で論じる必要があった。